【日記の最新記事】
2012年05月06日
2012年01月02日
年の初めに
1000年に一度という大震災の年は終わり、1000年に一度の年から1年目の年が明けました。
復興まで、これから何年、何十年もの月日を必要とするでしょうが、1000年に一度の出来事に巡り会わせた者として、この国に生きる者として、いやまして、創造力、表現力、人間力で立ち向かっていきたい。そう思っています。
私的な今年のテーマは、
「歩くこと」:これは健康のために言葉の通り歩くことです。(ここ数年、歩くことが減ったと痛感しました)
「話すこと」:これはもっともっと英語を話す機会を増やすことです。(どうあれ、ますます語学力が重要。どこまでも学習です)
「変わること」:これは「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」という言葉からきています。(常に変化し続けようとする仕事面での私の姿勢です)
との3つが私的な今年のテーマです。
加えて今年は辰年。年男でもあるので、何かを「開き、昇っていく」ような年にしたいと思ってます。
本年も何卒よろしくお願い致します。
復興まで、これから何年、何十年もの月日を必要とするでしょうが、1000年に一度の出来事に巡り会わせた者として、この国に生きる者として、いやまして、創造力、表現力、人間力で立ち向かっていきたい。そう思っています。
私的な今年のテーマは、
「歩くこと」:これは健康のために言葉の通り歩くことです。(ここ数年、歩くことが減ったと痛感しました)
「話すこと」:これはもっともっと英語を話す機会を増やすことです。(どうあれ、ますます語学力が重要。どこまでも学習です)
「変わること」:これは「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」という言葉からきています。(常に変化し続けようとする仕事面での私の姿勢です)
との3つが私的な今年のテーマです。
加えて今年は辰年。年男でもあるので、何かを「開き、昇っていく」ような年にしたいと思ってます。
本年も何卒よろしくお願い致します。
2011年10月01日
喫茶店
今年も残すところ後3ヶ月。早い。いやいや早すぎる。
某有名クリエータースクールからお声がかかってお茶の水へ。
帰りしなタバコが吸える場所を探してさまよった先に入った喫茶店。
お堀端、窓の向こうには大学が見える。古い。音楽は流れていない。
「アイスコーヒーお願いします」
仲の良い家族経営のよう。
80歳前後のお父さんがにこやかに話している。
大学生だろうか。道端から「こんにちは」と声をかける。お父さんは「大丈夫?」と応じる。
なんかいいなーー。
常連と思われるお客さんが入ってくる。
怒濤のような情報が押し寄せては消えてゆく世の中などまったく気にもとめず、
ここは違う時間が流れている。
古いドア一枚を挟んで。
今ここにいる初老のお客さんは、学生時代にもここに来ていたのだろうか。
昔ながらの喫茶店はいい。
どこも独特の個性ある時の流れを持っている。
高校の頃、アイスコーヒーを注文することで妙に大人になったような気にさせてくれた喫茶店。あの店は今はあるのだろうか。
スタバやタリーズのラテも美味しいが、私はこうした喫茶店のアイスコーヒーが好きだ。
その一杯のアイスコーヒーからは、甘酸っぱい思い出や、学生時代の仲間達の声が聞こえてくる気がする。少し急ぎすぎている自分に立ち止まって考える時間と空間をくれる。
今の私にとって、喫茶店はそんな場所になっている。
某有名クリエータースクールからお声がかかってお茶の水へ。
帰りしなタバコが吸える場所を探してさまよった先に入った喫茶店。
お堀端、窓の向こうには大学が見える。古い。音楽は流れていない。
「アイスコーヒーお願いします」
仲の良い家族経営のよう。
80歳前後のお父さんがにこやかに話している。
大学生だろうか。道端から「こんにちは」と声をかける。お父さんは「大丈夫?」と応じる。
なんかいいなーー。
常連と思われるお客さんが入ってくる。
怒濤のような情報が押し寄せては消えてゆく世の中などまったく気にもとめず、
ここは違う時間が流れている。
古いドア一枚を挟んで。
今ここにいる初老のお客さんは、学生時代にもここに来ていたのだろうか。
昔ながらの喫茶店はいい。
どこも独特の個性ある時の流れを持っている。
高校の頃、アイスコーヒーを注文することで妙に大人になったような気にさせてくれた喫茶店。あの店は今はあるのだろうか。
スタバやタリーズのラテも美味しいが、私はこうした喫茶店のアイスコーヒーが好きだ。
その一杯のアイスコーヒーからは、甘酸っぱい思い出や、学生時代の仲間達の声が聞こえてくる気がする。少し急ぎすぎている自分に立ち止まって考える時間と空間をくれる。
今の私にとって、喫茶店はそんな場所になっている。
2011年07月03日
「他人のために頑張ろうとしてみる」
今月の11日で、東日本大震災から4ヶ月になる。
この大震災は「天災」だけではとらえきれず、
また「人災」に押し付ける事も無理がある。
それはまさに、人類がつくりあげてきた文明そのものが問われている「文明災」だと梅原猛氏は言っていた。自然を支配し、人間の欲望を限りなく追求する経済や、自分だけ、もしくは自分と仲間だけが良ければよしとする利己的な価値観が蔓延し、日本人が本来持っていた共生の価値観が滅びつつあったのだ。
しかし、その美しく、また逞しい遺伝子は、まさに東北の人たちの心の中に生きていたのではないかと思う。その姿を見て、それは自分の中にも流れているのだと、これから先の人生にとって大切な何かを目覚めさせてくれたように思う。
茂木先生のtwitterに
「世の中に、「自分」は一人しかいない。つまり、自分のためにがんばるということは、一人分のエネルギーしかでない。発想を変えて、他人のためにがんばろうとしてみる。すると、十倍、百倍、千倍のエネルギーがわいてくる。他人は無限にいるのである。他人のためになることを身を粉にしてやっていると、不思議なもので、周囲の人はその人に「ありがとう」と感謝を表したくなる。結果として、自分自身も幸せになる。利他を貫くことで、回り回って結局は利己へとつながっていくのである。(中略)他人のために、を貫こうとすれば、そもそも人間とはどのような存在で、何を求め、何に苦しみ、何を喜ぶとするのかという普遍的な人間観が問われる。つまり、利他を実践するためには、自分自身の中の人間観を磨き上げていかなければならないのだ。」
とあった。
まさに今、日本が復活していくには、「他人のために頑張ろうとしてみる」ことから生まれる、これまでに経験した事のない何倍、何十倍のエネルギーが必要なのだ。
自分自身も、この大好きな日本を復活させていく一人として、顧客のために何ができるか、チームのために何ができるか、その事を改めて問いながら、何倍ものエネルギーを沸き立たせていきたいと思う。
この大震災は「天災」だけではとらえきれず、
また「人災」に押し付ける事も無理がある。
それはまさに、人類がつくりあげてきた文明そのものが問われている「文明災」だと梅原猛氏は言っていた。自然を支配し、人間の欲望を限りなく追求する経済や、自分だけ、もしくは自分と仲間だけが良ければよしとする利己的な価値観が蔓延し、日本人が本来持っていた共生の価値観が滅びつつあったのだ。
しかし、その美しく、また逞しい遺伝子は、まさに東北の人たちの心の中に生きていたのではないかと思う。その姿を見て、それは自分の中にも流れているのだと、これから先の人生にとって大切な何かを目覚めさせてくれたように思う。
茂木先生のtwitterに
「世の中に、「自分」は一人しかいない。つまり、自分のためにがんばるということは、一人分のエネルギーしかでない。発想を変えて、他人のためにがんばろうとしてみる。すると、十倍、百倍、千倍のエネルギーがわいてくる。他人は無限にいるのである。他人のためになることを身を粉にしてやっていると、不思議なもので、周囲の人はその人に「ありがとう」と感謝を表したくなる。結果として、自分自身も幸せになる。利他を貫くことで、回り回って結局は利己へとつながっていくのである。(中略)他人のために、を貫こうとすれば、そもそも人間とはどのような存在で、何を求め、何に苦しみ、何を喜ぶとするのかという普遍的な人間観が問われる。つまり、利他を実践するためには、自分自身の中の人間観を磨き上げていかなければならないのだ。」
とあった。
まさに今、日本が復活していくには、「他人のために頑張ろうとしてみる」ことから生まれる、これまでに経験した事のない何倍、何十倍のエネルギーが必要なのだ。
自分自身も、この大好きな日本を復活させていく一人として、顧客のために何ができるか、チームのために何ができるか、その事を改めて問いながら、何倍ものエネルギーを沸き立たせていきたいと思う。
2011年04月05日
大震災から4週間
早いものであの3月11日から4週間が過ぎた。
午後2時46分、東京の13階のオフィスで強い揺れを感じ非常階段で外へ。
携帯が麻痺した中で、公衆電話で家族と連絡がつく。
余震が続く中、いったんオフィスに戻り、ネットのニュースから「10メートルを越える津波」との文字が目に飛び込んできた。
その頃、すでに青森から千葉までの、特に宮城、岩手、福島の沿岸の街がいくつも水没し、営々と築きあげられてきた人々の生活、文化が廃墟と化していたことを知ったのは、翌朝からTVに映し出された映像に接した時だった。
そして、原子炉の爆発のニュース。
どこまで悲劇は続くのか、とすべての人が思った瞬間だった。
それから1ヶ月。一昨日も強い余震があった。
何十年分もの瓦礫に埋まった街に道が造られはじめ、家族を失い被災した人たちは、今、この現実に立ち向かおうとしている。
経済活動への影響は日に日に顕著になり、日本にとどまらず世界へ波及しつつある。
電力不足は数年続くとも言われている。
復興への道のりは長い。
私たちはどこへ向かうべきか。
消費が幸福、倹約は侘しい、という3月11日以前の価値観に回帰していくのだろうか。
宇宙から見ると一番明るい島、に戻ればいいのだろうか。
今、経済も政治も教育も個人の生活も、一番深いところにある何かを見つめ直すことを迫られているようだ。
それが何なのか。
それを問いかけながら進むことが、大震災後に生きる者として必要なことかもしれない。
大震災から4週間に思う。
午後2時46分、東京の13階のオフィスで強い揺れを感じ非常階段で外へ。
携帯が麻痺した中で、公衆電話で家族と連絡がつく。
余震が続く中、いったんオフィスに戻り、ネットのニュースから「10メートルを越える津波」との文字が目に飛び込んできた。
その頃、すでに青森から千葉までの、特に宮城、岩手、福島の沿岸の街がいくつも水没し、営々と築きあげられてきた人々の生活、文化が廃墟と化していたことを知ったのは、翌朝からTVに映し出された映像に接した時だった。
そして、原子炉の爆発のニュース。
どこまで悲劇は続くのか、とすべての人が思った瞬間だった。
それから1ヶ月。一昨日も強い余震があった。
何十年分もの瓦礫に埋まった街に道が造られはじめ、家族を失い被災した人たちは、今、この現実に立ち向かおうとしている。
経済活動への影響は日に日に顕著になり、日本にとどまらず世界へ波及しつつある。
電力不足は数年続くとも言われている。
復興への道のりは長い。
私たちはどこへ向かうべきか。
消費が幸福、倹約は侘しい、という3月11日以前の価値観に回帰していくのだろうか。
宇宙から見ると一番明るい島、に戻ればいいのだろうか。
今、経済も政治も教育も個人の生活も、一番深いところにある何かを見つめ直すことを迫られているようだ。
それが何なのか。
それを問いかけながら進むことが、大震災後に生きる者として必要なことかもしれない。
大震災から4週間に思う。


